The Battle of Brunanburh 『ブルーナンブルフの戦い』

The Battle of Brunanburh は、937年にブルーナンブルフ(場所は不明)で行われたアングロ・サクソン(ウェセックス)軍と、ヴァイキング・スコットランド連合軍との戦いを記録した詩で、Anglo-Saxon Chronicle の937年の欄に記録されている。

8世紀末頃以降、イングランドは北欧のヴァイキングの侵入を受けるようになり、アルフレッド大王(在位 871-99年)の時代以来、イングランドの北半分はデーンローというヴァイキングの法律の通用する土地となっていた。しかし、ここに記録されているブルーナンブルフの戦いでウェセックス軍が勝利をおさめたことをきっかけに、イングランドはウェセックス王を中心に、政治的に統一されるようになっていく。この詩は、このような歴史的な出来事を記録したものである。

以下の邦訳は、E. V. K. Dobbie (ed.), The Anglo-Saxon Minor Poems, Anglo-Saxon Poetic Records 6 (New York: Columbia University Press, 1942), pp. 16-20 のテクストに基づく。

 

『ブルーナンブルフの戦い』

  

 

この年、人々の王にして、戦士達に宝を与える

アゼルスターン王と、その弟君なる

エーアドムンドの君は、生涯にわたる栄光を

ブルーナンブルフの辺りでの戦にて、

5   刀剣の刃により勝ち得し。これらエーアドウェアルドの息子らは、

槌にて鍛えられし剣にて、

盾の壁を撃破し、シナノキの盾を切り裂きし。

これ、祖先より受け継ぎし彼らの生来の才に相応しきことなりし。

彼らは、あらゆる敵から国を、

10 宝と家郷とを守りしなり。

朝、かの高名なる星たる太陽が昇り、

   神そして永遠の主の眩き蝋燭が[1]

   大地の上を進み、この高貴なる被造物が

   もと来たところに戻るまで、

15 敵どもは滅び、死すべき運命のスコットランドの民や

  船乗り達は斃れ、[2] 大地は

   人々の血にて黒ずみし。そこにては、多くの

   北方より来る者たちが、[3] 槍に突かれ、

   また、盾の上より矢を射られて斃れし。スコットランドの者たちもまた、

20 戦にて疲労困憊せし。ウェセックスの者たちは、

   一日中、敵意ある者たちの

軍勢を足下に斃し続け、

逃げ惑う者たちを背後より

鋭き剣にて容赦なく切り捨てし。マーシアの者たちは、

25 アンラーフ[4]と共に船に乗り

   海のうねりを超えてこの国を目指した、

   戦にて死すべき運命のいかなる戦士たちとの激しき戦いをも

拒むことはなかりし。五人の

若き王たちが、剣にて切って捨てられ

30 この戦場に斃れ、同様に、アンラーフの

   七人の家臣たちや、数え切れぬ程の

   船乗りやスコットランド人の軍勢もまた斃れし。

   北方人たちの首領は、[5] 僅かな手の者のみを伴い

   船の舳先へ戻らざるを得ぬこととなりき。

35 王は、海上に船を押し出し、灰茶色の海に

   漕ぎ出し、生き長らえし。

   かの賢しき白髪交じりの戦士

コンスタンティヌスもまた、北方の家郷を目指し[6]

(戦場)より逃げ出ししが、彼にもこの戦のことを誇る

40 謂れはなかりし。彼はこの戦場で

親族を失い、友を失い、

戦で(多くを)奪われ、また、自らの息子を、

傷つき戦場に斃れし若者を、

戦の最中にうち捨てし。この白髪交じりの戦士、

45 この老獪なる悪漢には、この戦につきて大言壮語する謂れはなかりし。

   アンラーフも全く同様なりし。戦利品片手に、

   軍旗がぶつかり合い、

槍が槍と相見え、人が人と相見え、

武器(による攻撃)の応酬のある戦場にて、

50 彼らがエーアドウェアルドの息子たちに対して行いし

   好戦的なる行いの首尾よく運びしなどと

笑う謂れはなかりし。

槍の餌食とはならざりきかの北方人どもは、心悲しく、

また(敗戦を)恥じ、船にてディングの海を渡り、

55 深き海を越え、ダブリンを、

もと来たアイルランドを目指しし。

   同様に、かの二人の兄弟、王と君主とは、[7]

   勝ち誇りつつ、共に家郷を、

   ウェセックスの国を目指しし。

60 彼らは、暗色の羽毛に尖った嘴を持つかの黒き烏が

これを(餌として)楽しむようにと、死体を後に残しし。

また、かの灰色の装いし、

貪欲な戦いの鳥たる後部の白き鷲、

そしてかの灰色の獣たる森の狼が、

65 これを餌として楽しむようにと。[8] この島にては、これ以前、

未だ嘗て、書物や古の賢者たちの伝えるところによれば、

東方より誇り高き戦士たる

アングル人とサクソン人が、

広き海越えブリテン島を目指しやって来て、

70 この栄光ある貴人たちがウェールズ人を征服し、

   この土地を手にしれし時以来、

刀剣の刃による人々の犠牲が

これ以上になりしことはなかりし。

  



[1] 永遠の主の眩き蝋燭とは太陽のことを表すケニング。ケニングについては、拙著アングロ・サクソン文学史:韻文編』、98-100ページを参照。

 

[2] 船乗りとは、スコットランド人たちと連合してウェセックス軍と戦ったヴァイキングのことを指す。53行目以降にも述べられているように、ダブリンの王アンラーフ(オラフ)はアイルランドから遠征に来た。

 

[3] 「北方より来る者たち」もヴァイキングのこと。

 

[4] アンラーフとは、ダブリンの王オラフ3世Olaf Guthfrithsonのこと。彼の父はダブリンとヨークを支配していたが、ウェセックスのアゼルスターン王によりヨークから追放された。このようなことから、彼はアゼルスターン王と対立するスコットランド王コンスタンティンとストラスクライド王オーウェンの連合軍に加勢すべくアイルランドからやって来たのである。

 

[5] 「北方人の首領」とはアンラーフのこと。

 

[6] コンスタンティヌスとは、スコットランド王コンスタンティン2世のこと。「北方の家郷」とはスコットランドのこと。

 

[7] 「王と君主」とは、この詩の冒頭で言及されるウェセックス王アゼルスターンとその弟エーアドムンドのこと。

 

[8] 古英詩では、鷲、烏、狼が戦場の獣としてしばしば言及される。戦場の獣については、拙著アングロ・サクソン文学史:韻文編132-39ページを参照。