The Coronation of Edgar 『エドガー王の戴冠』

The Coronation of Edgar Anglo-Saxon Chronicle (A-text)の973年の欄に記録された古英詩で、エドガー王(在位959-975年)の戴冠式のことがうたわれている。この他、Anglo-Saxon Chronicle のBおよびC写本にもvariants が記録されている。

エドガーが即位したのは959年で、960年か961年に最初の戴冠式を行っており、この詩にうたわれた973年の戴冠式は二度目のもので、ブリテン島の他の王たちの上に立つ王(overlord)としての戴冠式であろうと言われている。

エドガーはこの戴冠式の二年後に亡くなっており、その死は The Death of Edgar として Anglo-Saxon Chronicle の975年の欄に(恐らく同じ詩人による)古英詩で記録されている。この他、Anglo-Saxon Chronicle に含まれる The Battle of BrunanburhThe Capture of the Five Boroughs も同じ詩人の作かと言われている。

なお、エドガー王はベネディクト会の修道院復興運動を擁護したことで知られ、その治世の間、ヴァイキングによる主だった侵攻もなく、文化的にも繁栄したことから、「平和王」(the Peaceable あるいは the Peaceful)の渾名を持つ。

以下の邦訳は、E. V. K. Dobbie (ed.), The Anglo-Saxon Minor Poems, Anglo-Saxon Poetic Records 6 (New York: Columbia University Press, 1942), pp. 21-22 のテクストに基づく。

 

『エドガー王の戴冠』

  

   この年、アングル人の支配者エーアドガール[1]は、

   大いなる人々の集まりによりて、かの古き町

   アケマンネスチェスターにて、聖別して王に任ぜられし。

   この町を、(ブリテン)島に住む者たちは、

5  別の名前にてバースとも呼ぶ。そこにては                      

   人々の子らがペンテコステの日[2]と呼ぶ

   この祝福されし日に、あらゆる者たちに

   大いなる喜びのありし。そこには、聞き及びしところによれば、

   司祭の一団、大勢の修道士の一団、そして、賢者たちの(一団)が

10 共にありし。そしてこの時、                                            

   高名なる王にして

   光の守護者たるお方の誕生の時より、

   年の数にして、書物によれば、千年に、

   二十七年欠けた

15 時の経過しておりし。[3] かくて、この出来事の起りし時までに

   勝利の主は、千年に近き(年月を)過ごしけるなり。

   そして、エーアドムンドの息子にして

   戦にて手強き者は、この出来事の起りし時までに、

   この世にて二十九の年を重ね、

20 そして三十年目に聖別して王に任ぜられし

 

                                       



 

[1] エドガーのこと。現代のEdgar とう名の古英語時代の形 Eadgar の発音に従った日本語表記。

 

[2] 聖霊降臨祭のこと。復活祭の50日後に当たる。ペンテコステという名称はギリシア語で50番目のを表す語に由来する。

 

[3] キリスト紀元(つまり西暦)973年のこと。