翻訳借用 loan translation (p. 42)

42ページでは、蜜酒や蜂蜜を表す語がインド・ヨーロッパ祖語時代に既に存在したという話と関連した脱線話として、honeymoon という語の語源について書いた。その際、honeymoon を日本語に翻訳してできたのが「蜜月」という言葉であるということも書いた。この場合のように、外国語の語彙をそのまま取り入れるのではなく、自国語に翻訳して取り入れることを翻訳借用(loan translation)という。ここでは、翻訳借用の他の例について紹介しておきたい。

日本語における翻訳借用の例として有名なものに、「亜鈴」(アレイ)がある。鉄アレイは、「ダンベル」と呼ばれることもあるが、これは英語でアレイを意味する dumbbell をそのまま取り入れたもの(通常の借用語)である。一方、この英単語はdumb「口がきけない、啞(おし)」とbell「ベル、鐘、鈴」から成ることに着目し、各要素を漢字に置き換えると「啞鈴」(アレイ)などとなる。恐らく啞という言葉が差別用語として通常使われなくなったこととも関連し、やがてこの字が「亜」に変更されてできたのが「亜鈴」である。したがって、亜鈴という言葉は、英語 dumbbell を漢字を使って翻訳した上で日本語に取り入れたものだと言える。このようなプロセスを翻訳借用という。

あまり気が付かないかもしれないが、日本語には翻訳借用で入った語が非常に多くある。例えば、ピアノの鍵盤は英語では keyboards というが、これは key「鍵」とboard「板、盤」から成ることから、各要素を漢字に置き換えて「鍵盤」となったものである。あるいは「帝王切開」は、ドイツ語で帝王切開を意味する Keiserschnitt (< Keiser「皇帝」+Schnitt「切開、手術」)の各要素を訳したものである。

ドイツ語も翻訳借用によって導入された語が非常に多い言語である。例えば、英語の television「テレビ」(< tele-「遠-」+vision「見ること、視覚」)は漢字で表せば「遠見」や「遠視」などとなりそうだが、ドイツ語では実際そういう感覚で、Fernsehen (< fern「遠い」+Sehen「見ること」)という。

同様に、「参加する」の意のドイツ語動詞 teilnehmen  (< Teil 「部分」 + nehmen 「取る」) は、ラテン語 participare「加わる、共にする」 (< parti-「部分」+ capere「取る」) を翻訳借用したものである。英語にはラテン語に基づく借用語 participate が入っている一方、take part in という熟語として、ドイツ語の teilnehmen と同様の感覚に基づく表現もある。

英語における翻訳借用の有名な例としては、曜日の名称が挙げられる。これについては、拙著『英語のルーツ』の中に多少の解説をするつもりで原稿を書いていたが、ページ数等の関係で最終的に没になってしまった。以下にその没原稿を載せておく。

<英語の曜日の名称の起源>

4世紀にローマ人たちから週7日制を学んだゲルマン人達は、ラテン語の曜日の名称をゲルマン語に翻訳して用いるようになった。ラテン語においては、(ギリシアの伝統に倣い)一週間を構成する7日がそれぞれ7つの主要な天体にちなんで名づけられていた。

一方、現代英語でもそうであるように、主要な天体にはローマの神々の名が付けられていた。つまり、Mars「軍神マルス、火星」、Mercury「商売の神マーキュリー、水星」、Jupiter「主神ジュビター、木星」、Venus「愛と美の女神ヴィーナス、金星」、Saturn「農耕神サターン、土星」といった具合である。結果として、ラテン語の各曜日にはローマの神々の名前が付いていたのである(詳しくは以下の表を参照)。

一方、ゲルマン人は、ローマの神々の名を自分達の神話の神々の名に置き換えて曜日の名称を作り、これが英語で現在使われている曜日の名称の起源となっている。この場合のように、外国語の語彙をそのまま取り入れるのではなく、自国語に翻訳した上で取り入れることを翻訳借用という。

英語        古英語                     ラテン語

Sunday          Sunnandæg 「太陽の日」        dies Solis 「太陽の日」

Monday      Monandæg 「月の日」          dies Lunae 「月の日」

Tuesday     Tiwesdæg 「ティーウの日」       dies Martis 「マルスの日」

Wodnesday   Wodnesdæg 「ウォーデンの日」     dies Mercuri 「メルクリウスの日」

Thursday     Þunresdæg 「スノールの日」      dies Iovis 「ユーピテルの日」

Friday        Frigedæg 「フリッグの日」             dies Veneris 「ウェヌスの日」

Saturday     Sæter(n)dæg 「サターンの日」     dies Saturni 「サートゥルヌスの日」

ティーウ、ウォーデンといったカタカナの部分がゲルマン人の神話の神々の名である。ただし、土曜日の「サターン」だけは、対応する神がゲルマン神話には存在しなかったのか、ローマの神の名のままである。

なお、ラテン語の曜日名の中に含まれるローマの神々の名を、天体の名前に置き換えると、「日月火水木金土」となり、我々が使っている曜日名と同じであるということが分かる。これも偶然ではない。

七曜が日本に伝わったのは、9世紀初めに空海が唐から持ち帰った『宿曜経』のためであるとされている。この『宿曜経』にはインド占星術の知識がまとめられているそうだが、インドの占星術はギリシアから伝わった知識に基づいていた。一方、上記のような曜日の名称の伝統もギリシアにおいて成立したものである。これがインドに伝わり、そこから唐を経由して『宿曜経』と共に日本に伝わったということである。