Menologium 『メノロギウム』

10世紀末頃に作られた Menologium Old English Metrical Calendar などとも呼ばれることがある、教会暦の概要をまとめた詩で、Anglo-Saxon Chronicle (C-text) の前に Maxims II とともに収められている。この詩は、重要な移動祝日が一年の流れの中の何処に位置するかを示したもので、一つの祝日から次の祝日までの間が何日あるかがまとめられている。

この作品においては、一年が至点(冬至、夏至)、分点(春分、秋分)により大きく4つに区分され、さらに至点~分点の中間に位置する各季節の始まり、および各月の始まりも言及される。月の名称については、ラテン語と古英語のものがが並行して用いられているが、特に古英語の月の名称が文学作品の中にまとまって使われた例は他に Old English Martyrology ぐらいしかなく、その意味で注目に値する。

アングロ・サクソン時代には、ローマの暦に従って「12月22日に」というような形で日付を言い表すのと並行して、「クリスマスの3日前に」などのように、重要な祝日(および至点、分点、四季の始まり等)を基準とした日付記載法も広く用いられていた。Menologiumは特に後者のような日付記載法の概要がまとめられた作品だと考えられる。この作品がAnglo-Saxon Chronicle に先立って収録されているのも、年代記の中でしばしばこのような日付記載法が用いられることと関係があるのだろう。内容や構造が非常によく似ている散文の Menologium も存在し、恐らくこれも同じ目的のために作られたものと考えられる。

以下の邦訳は、「古英詩Menologium研究小史 附 テクストおよび邦訳」というタイトルで『ことばの普遍と変容』Anglo-Saxon語の継承と変容叢書 4 (2009), pp. 47-80 に掲載された拙論に含まれる拙訳に多少改訂を加えたもので、E. V. K. Dobbie (ed.), The Anglo-Saxon Minor Poems, Anglo-Saxon Poetic Records 6 (New York: Columbia University Press, 1942), pp. 49-55 のテクストに基づく。

 

  『メノロギウム』

王達の栄光にして高名なる主、

永遠にして全能の主キリストは、

冬至の日に生まれし。その8日後に、

天国の守り手は救世主と呼ばれし。[1]

5     これと同じ日に、大いなる軍勢、

数え切れぬ者達は、年の初めを迎える。

この日、定められし如く

朔日が、第一の月が

我等の町に(きた)る。この月を偉大なる民は、[2]

 10  その昔、ヤヌアーリウスと呼びし。

     それから五夜の後、永遠の主が

洗礼を受けし日の(きた)る。

栄光あり、戦いの誉れ高き者達は、この国

ブリテンにおいて、この日を

15  十二日節と呼ぶ。それから四週間に

二日足らぬ日数の後、二月が町に(きた)る。

その昔、時の法則に精通せし

賢者達が、フェブルアーリウス到来の時を

算出せしが如くに。その翌日なり、

 20  我等が、王の母マリアの祝日を

          祝うのは。この日、彼女は神の子

          キリストを神殿に連れて行きし。[3]

          それから五夜の後なり、冬が村々より

          去り行くのは。それから十七日の後、

 25    春が街へ、人々の住む村々へ

来りし時より(十七日の後)、かの戦士、

救世主の家臣にして高名なるマティアスは、

我の聞き及びしところによれば、

         死の辛酸を嘗めし。広く知られし如く、

30    五日の後、何処(いずく)の人々にも

       農民達にも戦士達にも、

     月の始め、朔日が(きた)る。

       霜や雹に飾られて

荒々しきマルティウスが、

 35  偉大なる三月が(きた)るなり。[4]

     ただし、四年毎に閏日の加えらるる時はさにあらず。

         斯様の年には、一夜遅れて我等が町に(三月の)(きた)るなり。

         それから十一夜の後、かの聖人、高貴にして

         ブリテンにて高名なるグレゴリウスは

 40   神の守りたる彼方へと急ぎ旅立ちし。気高く勇敢なる

ベネディクトゥスは、それから九夜の後、

救世主を求めし。修道規則に従う者達は、

書物の中にて彼を神の僕と呼び

大いに讃う。暦学に長けたる者達は

 45   これと同日に春分を迎えるなり。

         なんとなれば、これ原初の時代のまさにこの日に、

支配者たる神が太陽と月とを創造されし故なり。

            聞け、人々が春分を迎えて

          四夜の後、父なる神は大天使

50   送りし、偉大なるマリアにお告げを伝えるために、

          世界中に示されたるが如く、

    彼女が神を、最上の王を

          お産みになることになると(伝えるために)。これ人々に知られし

          大いなる出来事なりし。それから七夜後のことなり、

 55    救世主が四月をお送りになるのは。

          人々の慰めとして

よく知られしかの祝日、主の復活の時が、

祝わるるのは大抵この月なり。この日には、広くいたるところにて

賢人の歌いし如くに、歓喜の声上ぐるがよし。

 60   「この日は、賢明にも神が我等のために

         何世代にもわたる人類、地上に住む

全ての恵まれし者達の喜びのために作りし日なり。」[5]

この祝日を日数の計算によりて

算出すること能わず。主の昇天の日

65    についてもまた同じなり。これなんとなれば、これら祝日の日付、

賢者らの(見出しし)法則に従いて常に変化するが故なり。

これらの聖なる祝日は、暦学に通じし者により、

(移動祝日の)周期の中に巧みに見出さるるべきものなり。これより再び

我らは殉教者の祝日につきてさらに歌わん、

70  言葉もてしかと歌わん、

復活祭の月(4月)が我らのもとに来たりし時より

二十四夜の後、

人々は聖遺物を、聖なる宝物を

掲げるなりと。これ偉大なる日、

75    広く知られし祈りの時なり。[6] それから六夜の後、

町に向かいて速やかに、草木(そうもく)

装いも優雅に、美しき

五月が(きた)るなり。マイウスは、いたる所にて

多くの々に大いなる生活の糧をもたらす。[7]

 80   これと丁度同じ日に、高貴なる同志、

         勇敢なる家臣、フィリップスとヤコブとは、

神への愛故に、命を(なげう)ちし。

それから二夜の後なりし、神が

祝福されしエレナに、最も高貴なる木(の在処)を示ししは。[8]

85  この木の上にて、天使達の主は受難されし、

       人々に対する愛故に、主は十字架の上にて

       父なる神の許しを得て。それから一週間に

一日足らぬ日数の後なり、夏が人々の町に

日差しの明るい日々を、温暖な気候を

90  もたらすのは。やがてすぐに野は

       花々で飾らるる。而して様々な姿の、

種々の生物の喜びが、中つ国を通じて

沸き起こるなり。(彼ら)幾度となく、

王に対し称揚の声上げ、広く知られし全能の主を

95    讃うなり。それから日数にして

十七日後なり、主がこの世とは別の世界へ

アウグスティヌスを、心に平安を有しし者を

お召しになったのは。これ以前、彼はここブリテンにて、

彼自身に、また神の意思に忠実なる

100  人々を見出しし、賢明なるグレゴリウスが

命じし如くに。我、何処にても

聞き及びしことなし、いまだ嘗て、

海を越えてこれより良き教えを、また彼より賞賛さるべき司教を

もたらしし者がおりしとは。[9] 今日彼が眠るのは、ブリテンの、

 105  ケントの中心地の近く、

          高名なる大聖堂の近くなり。[10] それから六日の後、

          新たなる月、六月が我らの街に、

        イウニウスが囲い地に、

長い日照時間をもたらす。この月に、

 110  (天の)宝石が、最も輝かしき星が

          天上にて、一年で最も高くまで昇り、その場所から

          もと来た所へ沈むなり。[11] この時以来、

          この世のものの中でも最も美しき光は、

          より長く地を支配するようになり、より遅く大地の上に

115   出で来るようになるなり。[12] それから二十三日の後なり、

        天の家臣、主の愛されし

        ヨハネが、その昔

        お生まれになりしは。我等、信心深き者の間にては、

 夏至の日に、この祝日を盛大に祝うなり。

 120     適切にも、聖人達、ペトルスとパウルスの祝日が

           広く人々の子等の間にて

           祝わるる。聞け、これらの、主君に忠実なる

           使徒達は、夏至の日から数えて

           丁度五日後に、ローマにて

 125  大いなる艱難に苦しみ、

           よく知られたる殉教をせしなり。

         (彼ら)最高位の家臣達は、その昔、人々の間にて

         多くの偉大なる行い為し、さらにその後にも、

 主の御子を通じ、数え切れぬ程の

130    際立って優れしこと行いし。それからすぐに、

         丁度二夜の後、我等がもとに

         ユリウス(七月)の(きた)るなり。これより

         二十四夜の後、心の意志固く、

 賢明にして不惑なる民草の師で、

135    ゼベドの息子ヤコブスは

            命を(なげう)ちし。それから

            七夜の後、夏によりて輝かされし

            八月が町に(きた)るなり。何処にても、

            アウグストゥスが、偉大なる人々に

140        収穫祭をもたらすなり。それから七夜に

 一夜足りぬ日数の後、美しく、実り多き

 秋の(きた)り、豊かなる繁栄の

 地上に美しく示さるるなり。それから三夜の後、

 主に忠実にして、高名なる助祭

145  ラウレンティウスが、殉教によりて

 この世を去りし。これによりて、今彼は

 その行いへの報奨として、天の父と共に生くるなり。

 それから五夜の後、最も美しき女性、

 婦人らの栄光(たるマリア)は、ご子息への愛のため、

 150   万軍の主を求め、天国の

 栄光ある家郷を目指したり。救世主は

 養育に対する報酬を、彼女に対し十分に、

 永世に亘り付与せし。それから毎年

 十夜の後に、バルトロメウスの祝日が

155  名誉ありよく知られた祝日が、

 ここブリテンにて祝わるる。それからまた四夜の後、

 貴人の死が

 広く人々に示さるる。彼は高貴なる戦士にして、

 嘗て適切にも、天の王の息子に

160  (洗礼の)水を振りかけしなり[13] 彼につきて主は(のたま)いし、

         中つ国において、男と女の間に生まれし者

         これ程偉大なる者はおらぬと。[14]

         多くの人々の間においては、それから三夜の後のことなり、

         人々に知られたるが如く、聖なる月(九月)が

165    民草のもとへとやって来るのは。嘗てセプテンブレスの到来の時を

         知性溢るる古代の賢人達が

         算出せし通りに。それから七日後のことなりし、

         女性のうちで最高の、主のご母堂様が

         お生まれになりしは。それから十三日の後、

170    よく知られし家臣、

         福音に長けしマテウスが、

         自らの魂を、運命の定めに従いて、

         永遠の喜びの中へと送り出ししは。それから毎年

         三夜の後、広く人々のもとに、

175    人々の子らのもとに、秋分の日の訪れるなり。

   聞け、我等この世において広く祝うなり、

 秋に、大天使の、ミカエルの祝日を。

 これ多くの者達に知られし如く、

 民草に、人々に、秋分の日の示されし時より

180    五夜の後のことなり。

           それから二夜の後なり、十番目の月が、

           オクトーベルが、あるいは、(ブリテン)島に住みし

 アングル族やサクソン族が、男も女も、

 ウィンテルフュレスと呼ぶ月が、

185    暦学の法則に従いて、民草のもとに来たりて、

           我等の町に豊かさをもたらすのは。二人の戦士の

 祝日を祝うのは、それから

 合わせて二十七夜の後なり。

           我等、これらの貴人達につきて、

190    (いにしえ)より聞き及びし、高名なる彼ら、

            シモンとユダスとは、常に

            主にとりて大切なる御仁なりしと。故に彼ら、栄光掴み、

            幸福なる昇天を果たしし。その後まもなく、

            四夜の後に、豊かなる生贄の月(十一月)が、

 195    ノウエンブリスが、民草の街に、

            人々の生きる糧として

            豊かさをもたらすなり。[15] これ、主のお恵み故に、

            他のどの月にも見られぬ程なり

          これと同日に、我等、諸聖人の祝日を

200     祝うなり。彼らこれまでに

          主のご意思を行いし者達なり。

  それから六夜の後、主のご命令に従いて、

 広く、霜に(とざ)されし

   冬の到来し、太陽の輝く秋を、

205     霜や雪の軍勢にて捕らえるなり。

            而して、緑の野、大地の飾りは、

            もはや我等と共にあること能わず。それから四夜の後なり、

            高名なるマルティヌスが、穢れなき御仁が、

            この世を去り、主を、天上の天使達を、

210     求めしは。それから十二夜の後のことなり、

          神に仇為す者が、栄光ある御仁を

          海の底に、灰色の波の下に沈めしは。[16]

  多くの人々、しばしば

          危機に瀕し、彼の祝日以前にても、クレメンテースの加護を祈るなり。

215     それから七夜の後、栄光の主にとりて大切な御仁、

          高貴なるアンドレアスは、天に向けて、

          神のご加護のもとへと、旅路を急がんとする

          魂を送り出しし。翌日の朝が、人々に、

  民草に、人々の子等に、

220     街に、デケンブリスの月を、

          十二月をもたらすなり。それから日数にして

  二十夜の後のことなり、主ご自身が

  勇敢なる心のトマスに、勇猛なる戦士に、

  苦難に対する報酬として、永遠の王国を、

225     ご自身の祝福をお与えになりしは。

            それから四夜の後なり、天使達の父が、

            ご自身のご子息を、この広き世界に

  人々の慰めとしてお送りになりしは。今や汝らは、

   ブリテンにおいて、今日

230     サクソン人の王の命令の行き届く限り、

            祝うべき祝日を見出すこと能うなり。



 

[1] ここでは1月1日の割礼祭のことが述べられている。生後8日目に割礼を受けるというのはユダヤ教徒の間での習慣であった。割礼を受けたキリストはイエス(Jesus)と名付けられたが、これがヘブライ語で救世主を意味することから、このように述べられているのである(「ルカの福音書」2:21を参照)。なお、この場合の「8日」とは、クリスマスの当日を含めて「8日」である。この作品の他の全ての個所においては、起算日を含まない計算法が採用されているが、この個所においてのみ、起算日を含める伝統的な計算法が採用されている。

 

[2] 「偉大なる民」とはローマ人を指す。

 

[3] 聖マリア清めの祝日のことが言及されている(「ルカの福音書」2:22を参照)。

 

[4] なぜ3月が「偉大」であるとされているのかを考える際には、Byrhtferth’s Enchiridion の中の、「全ての月が様々な喜びや栄誉を有してはおるが、3月は最も偉大なり」(Enchiridion II.1.232-33)という言葉が参考になる。3月には、復活祭の日取りの算出基準となる春分があることに加え、Menologium でも簡単に触れられているように、世界が創造されたとされる月でもあり、非常に重要な出来事が重なった月として最も偉大な月とされているのであろう。

 

[5] この部分は、Paris Psalter の Psalm 117:22 とほぼ同じであり、古英語韻文版の「詩篇」の引用である。したがって、59行目の「賢人」とは、具体的には詩篇作者のことを指す。

 

[6] 4月25日の大祈願祭のことが言及されている。この日には、聖遺物を掲げ、連祷を唱えながら行進するという習慣があった。

 

[7] 5月頃から季節がよくなることから、この月(「マイウス」Maius = May)が農作物をはじめとする「生活の糧」をもたらすとされている。古英語では5月のことを þrymilce (= three milk) と言い、これは「牛が一日に三度乳を出す」ことにちなんだものである。この月の名称に象徴されるように、5月は豊饒性の増す月であると捉えられていたのである。

 

[8] 聖十字架発見の祝日のことが述べられている。

 

[9] これはイングランドに宣教団を送った教皇グレゴリー1世を称えた言葉で、この文中の「彼」とは、97行目に言及されている、宣教団を率いてイングランドに渡ったアウグスティヌスのことである。

 

[10] 「高名なる大聖堂」とはカンタベリ大聖堂のこと。

 

[11] 「6月が長い日照時間をもたらす」ということと関連して、夏至の日のことが言及されている。

 

[12] 夏至の後、日が短くなり、日の出の時間も遅くなるということが述べられている。

 

[13] はっきりと名前は述べられていないが、ここではキリストに洗礼を授けた洗礼者ヨハネのことが述べられている。

 

[14] この部分は、「マタイの福音書」11:11 に基づいている。

 

[15] 十一月は古英語で「生贄の月」(Blotmonað)と呼ばれ、冬を越すことが出来ない家畜を屠り、それを保存用の食料として備蓄した月であったために、この月が「豊かさをもたらす」とされているのであろう。

 

[16] St Clement については、キリスト教の信仰を捨てなかったため、ローマのトラヤヌス帝の命令で、錨につながれ海に沈められ殉教したという話が伝わっている。ここでもそのことが言及されているのである。Passio S. Clementis に由来するエピソードは、Bede の Martyrolog OE Martyrology St Clement の祝日の項にも触れられている。