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第3章 王家の紋章 (pp. 103-163)

本章では、英国王の紋章の変遷に反映された英国史や英国の成り立ちを概観したが、諸事情により、紋章の図は白黒で、また全ての図柄を掲載することも出来なかった。そこで、ここに簡単な解説と共に、各時代の英国王の紋章を載せておくことにした(図は全てWikipedia英語版の "Royal Arms of England",  "Royal coat of arms of the United Kingdom", "National emblem of France", および "House of Hanover" より借用)。

 

@リチャード1世に始まるイングランド王の紋章 (1198-1340, 1360-1369年)

記録に残る最古の英国王の紋章はリチャード1世の用いた 'three lions passant' で、これは英国王家の紋章の一部として現在まで受け継がれている。サッカーのイングランド代表のエンブレムもこの紋章を基にしたデザインとなっている。

   

                                  cf. サッカー、イングランド代表のエンブレム

 

Aエドワード3世に始まるイングランド王の紋章 (1340-1360, 1369-1395, 1399-1406年)

フランスの王位継承権を主張し、百年戦争を始めたエドワード3世は、従来の紋章 'three lions passant' とフランス王家の紋章 'France ancien' を組み合わせて、新たな紋章を作った。

              

                             cf. フランス王家の紋章 'France ancien'

 

Bリチャード2世の用いた紋章 (1395-1399年)

伝統的にイングランドの守護聖人の一人とされていたエドワード証聖王のものとされる紋章が従来の紋章と組み合わされている。 エドワード証聖王のものとされる紋章はさらに、アルフレッド大王に遡るウェセックス王家に伝わる紋章ともされている。アルフレッド大王によって創設されたとかつて考えられていたオクスフォード大学のユニバーシティ・カレッジは、この「神話」を重んじ、この紋章をカレッジの紋章としている。

     

                                                         cf. エドワード証聖王のものとされる紋章

   

Cヘンリー4世が改訂した紋章 (1406-1422, 1461-1554, 1558-1603年)

1376年にフランス王家の紋章が 'France ancien' から 'France moderne' に改訂されたことを受けて、イングランド王の紋章に組み込まれたフランス王家の紋章に由来する図柄も改訂された。

                        

                                                     cf. フランス王家の紋章 'France moderne'

 

Dヘンリー6世の用いた紋章 (1422-1461, 1470-1471年)

父ヘンリー5世が百年戦争を優位に進めたことにより、1422年にフランス王位に就いたヘンリー6世は、フランス王の紋章と従来のイングランド王の紋章とを組み合わせた紋章を用いた。しかし、その後イングランドは百年戦争に敗れ、ヘンリー6世はフランス王位を失い、この紋章も後の時代には受け継がれなかった。

 

 

Eメアリ1世の用いた紋章 (1554-1558年)

メアリ1世は、カスティリャ、アラゴン、ナポリ、ポルトガルなどの王であったフィリップ2世と結婚し、従来のイングランド王の紋章に夫の紋章を加えたものを用いた(この結婚のため、フィリップ2世は「イングランド王」の称号を得た)。 向かって左上の城塞の図柄は、カスティリャ王国の紋章に由来するもので、英国領ジブラルタルの紋章にも同じ図柄が用いられている。ジブラルタルの紋章やその歴史については、当ホームページ内のこちらのページを参照。

     

                                cf. スペインのハプスブルク家の紋章

 

Fジェームズ1世が改訂した紋章 (1603-1649, 1660-1688, 1702-1707年)

エリザベス1世の死によりチューダー朝が断絶した後、スコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王位に就いた。これにより、スコットランドとイングランドは同じ君主の治める2つの国という関係(同君連合)になった。これに伴い、従来のイングランド王およびスコットランド王の紋章が組み合わされ、さらに、当時植民政策が進められていたアイルランドを象徴する図柄も加えた新たな紋章が作られた。なお、以下の図は、左がイングランド王としての紋章、右がスコットランド王としての紋章 (向かって左上に最も重要な要素が置かれる。G〜Iでも同様に、左がイングランド王としての紋章、右がスコットランド王としての紋章)。

     

 

Gウィリアム3世とメアリ2世の共同統治時代の紋章 (1689-1694年)

名誉革命によりジェームズ2世が退位させられると、彼の長女メアリ2世とその夫でオランダのオラニエ公ウィレムがウィリアム3世として王位に就いた。共同統治を象徴すべく、この時代の紋章は、二人の紋章が組み合わされたものとなっている。向かって右側には従来のイングランド王の紋章が、向かって左には、従来のイングランド王の紋章の上にウィリアム3世の属するナッサウ家の紋章が重ねられた図柄が用いられている。

     

 

Hウィリアム3世の紋章 (1694-1702年)

メアリ2世の死により共同統治が終わり、ウィリアム3世単独の治世が始まったことを受け、Gからメアリ2世の紋章(向かって右半分)が取り除かれた。 ウィリアム3世の死後王位に就いたアン女王はスチュアート家の出身で、ナッサウ家とは関係がなかったので、ナッサウ王家の紋章が重ねられたこの紋章はウィリアム3世の死とともに用いられなくなった。

     

 

Iアン女王時代に改訂された紋章 (1707-1714年)

スチュアート家出身のアン女王は当初、ウィリアム3世の紋章からナッサウ家の紋章を取り除いた紋章(スチュアート朝の始祖ジェームズ1世以来用いられたイングランド王家の紋章、F)を用いたが、1707年のイングランドとスコットランドの統合を機に、この統合を反映させ、イングランドとスコットランドを表す要素が一つにまとめられ、代わりにフランスを表す要素が独立した紋章を使い始めた。

 

Jジョージ1世に始まるハノーバー朝で用いられた紋章 (1714-1800年)

アン女王の死後王位に就いたドイツのハノーバー家出身のジョージ1世は、アン女王が改訂した紋章の向かって右下にハノーバー家の紋章を組み込んだ。

     

                                    cf. ハノーバー家の紋章

 

Kジョージ3世が改訂した紋章 (1801-1816年)

1801年にアイルランドが統合されたのを機に、当時の王ジョージ3世が紋章を改訂した。この際、1340年のエドワード3世の紋章改訂以来英国王の紋章に組み込まれていたフランス王家の紋章が取り除かれ、フランス王位継承権の主張が取り下げられた形となっている。これはフランス革命により王位が廃され共和政が布かれたことと関係しているものと思われる(ただし、1814年には王政復古により再び王政が布かれたが)。ハノーバー家の紋章は中央に置かれ、その上に選帝侯の冠が置かれている。 なお、左はイングランド用、右はスコットランド用の紋章(L、Mについても同様)。

     

 

Lジョージ3世の二度目の改訂を経た紋章 (1816-1837年)

1814年にハノーバーが王国となったことを受け、ジョージ3世は従来の紋章にあった選帝侯の冠を王冠に変更した。

     

Mヴィクトリア女王時代以来の紋章 (1837年-現在)

ヴィクトリア女王の即位とともに、従来の紋章からハノーバー家の紋章が取り除かれた。これは当時のハノーバーで通用していた法律では、女性が王家の家督を相続することが認められておらず、ハノーヴァー家を継ぐ権利がなかったことを反映したものである。 これ以降現在まで、この紋章が使い続けられている。