The Seafarer 『海ゆく人』

The Seafarer は古英語のエレジー (elegies) のうちの一編で、この世の繁栄の儚さを悟りキリスト教の信仰に目覚めた者がその心境をうたうという設定の詩である。俗世間を捨てて荒野で生きる隠者にも似た心境がうたわれている。

以下の邦訳は、G. P. Krapp and E. V. K. Dobbie (eds.), The Exeter Book, Anglo-Saxon Poetic Records 3 (New York: Columbia University Press, 1936), pp. 143-47 のテクストに基づく。

 

『海ゆく人』

   ここに吟ぜんとする(うた)

   自らの体験に基づくものなり。

   心に大いなる悲しみを秘めつつ、

   いかに辛き日々を耐え忍んできたことか。

 5 恐ろしくうねる波間に船を浮かべ

   いかに多くの悲しみに満ちた場所を旅せしことか。

   我が船が岸壁の傍にさしかかりし折には、

   船首に立ち、不安な寝ずの見張りせしことも度々。

   我が足は冷たき足枷たる霜に囚われて冷えきり、[1]

10 心は悲しみで(たぎ)りし。航海に疲れたる心は                                          

   空腹にて引き裂かれんばかり。陸上にて

   この上なく安らかに暮らす者には、

   旅の友もおらぬ漂泊の途上、

   氷柱下げ、雹に降られながら、

15 凍るような海の上で

   冬を過ごすことが                                                       

   いかに惨めで悲しきことかは分からぬもの。

   そこにて聞こえしは、凍るように冷たき

   海波の荒れ狂う音のみ。時に、白鳥の鳴き声を、

20 カツオドリやシギの鳴き声を、               

   人々の笑い声の代わりに愉しみとし、

   蜜酒の代わりにカモメの歌を愉しみとすることもありき。[2]

   強風が岩壁に吹きつけるところにては、

   霜の降りたる羽のアジサシがこれに応え(て声を上げ)、

25 露に濡れたる羽の鷲もしばしば声を上げしが、   

   孤独なる者の心を慰むる親族は一人としてそこにはおらざりき。

    高揚したる心持で葡萄酒に酔いながら、

   街での生活を愉しむ者は、

   斯様の困難を俄かには信じず。我が海上の旅が

30 時としていかに(つら)ものとなりしかを。                                      

   夜の闇が迫り辺りは暗くなり、北方より雪が降りつけ、

   霜が地表を覆い、大地にはこの上なく冷たき粒たる[3]

   雹の降りしなり。故に、我が心の内に、

   遠き異邦人の土地目指し旅せんとの

35 欲求が、日に日に高まりはすれど、            

   深き海の上、

   うねる海波の中を一人旅すること思うと、

   我が心は暗く沈む。                                  

   この地上にては、いかに意気軒昂で、

40 気前よく財宝を分け与え、若く血気盛んで、                          

   勇ましき行いし、主君に忠実な者であろうと、

   自らの航海に不安抱かざる者なし。

   自らのことを神がどうなさるおつもりか、不安抱かぬ者なし。

   航海する者の心を占めるは、竪琴でも宝環の受領でも、

45 女性の喜びでも、俗世間の喜びでも、                                             

   その他いかなるものでもなく、ただ波のうねりのみ。

   波の上に乗り出そうとする者は常に不安を抱えるもの。

   草木が花を咲かせ町を美しく飾り、

   野を美しくし、世の中が活気付くと、

50 あらゆる物事が、                                               

   遠く海路に乗り出さんとする者の

   逸る気持ちを航海へと駆り立てる。

   カッコウも憂鬱なる声出し、

   夏の番人たるこの鳥の歌が[4]

55 心の内の辛き悲しみを告げる。                    

   安寧に暮らす者は、遥か遠き彼方まで漂泊の旅する者が

   いかなる苦難を耐え忍ぶか知らず。

    かくして、我が心の思いは胸の内から離れ、

   海流と共に、鯨が故郷たる海を越え、[5]

60 広大なる大地を越えて遠く旅し、              

   その後に、高揚し逸りたる心の思いは

   我がもとへと戻り来るなり。孤独なる鳥カッコウが鳴き、

   否応なく我が心を(いさな)道へと、[6]

   海波の上へと急き立てる。なんとなれば、我が心、

65 地上にての無意味で儚き生活よりも、                

   天主様のもとでの喜びを求むるからなり。[7]

   この世にての繁栄が永遠なるものとは我信ぜず。

   死すべき時まで

   定かには分からねど、

70 病、老い、戦、これら三者のいずれかが、いずれ            

   死すべく定められし者より命を奪い取るからなり。

    ゆえに、男児たる者にとりて、最上の栄誉とは、

   この世に残しし人々によりて、死後に称賛さるることなり。

   これ、あの世へと旅立つより以前、

75 この世にて敵どもの悪意に対して行いしこと、       

   悪魔に対して行いし勇敢なる行いゆえのことであり、

   それゆえに人々の子等は彼を称え、

   彼は永遠に天使と共にある栄光を、

   永遠の生を、そして

80 (天の)万軍と共にある喜びを得るなり。日々は過ぎ去るもの。      

   地上の王国のあらゆる栄光もまた然り。

   かつて華々しき行いし、

   この上なき名声を博しし王も、皇帝も、                   

   財宝を分け与えし君主も、

85 今となってはかつてのようにはあらず。        

   全ての軍勢も、(活気ある社会の)喜びも失われ、

   より劣りたる情勢に甘んじ、苦難のうちに

   生き永らえるのみ。繁栄は地に堕ち、

   中つ国のあらゆる者が年老いて衰えゆくように、

90 この世にての栄光も年月を経ては色褪せる。          

   老いが迫り、見るからに生気は衰え、

   白髪になりし貴人の子は嘆き、かつての友のもとへと

   この世を捨てて旅立つに至る。

   命失いし後、肉体は

95 甘美なるもの味わうことも、悲しみを感ずることも、     

   手を振ることも、ものを考えることも能わず。

   彼と血を分けたる者は、彼の墓を黄金で飾り、

   (親族の)遺体の傍らに様々な財宝と共に彼を埋葬せんとするが、

   宝を携えてあの世へ行くことは出来ず、

100 また、生前に財宝を蓄え置けど、   

   神の畏るべきお裁きの前には、[8]

   黄金が罪深き魂の助けとなることもなし。

   ゆるぎなき土地を大地の隅々に至るまでお造りになり、

   天をお創りになりし創造主の畏るべきお力はあまりに偉大なれば、

105(不動の)大地すらもこれを畏れ動くなり。    

   愚かなるかな、天主様を畏れぬ者は。斯様の者には不慮の死が訪れん。[9]

   幸いなるかな、謙虚に生きる者は。斯様の者には天からお慈悲が与えられん。

   神は斯様の者の心を強くされ、それがために彼は神の力を信ず。

   されば、心を確固として正しく導き、これを揺るぎなく保ち、

110(神との)契約に、そして清き生活の規範に忠実たるべし。   

   好意寄せる者に対しても、敵意示す者に対しても、

   悪意を…自制すべし。[10]

   交友ありし者が大いなる火にて、

   焔にて焼かるるを望む者はおらぬが、

115 定めの厳しさ、創造主の力の偉大さは、         

   いかなる者の想像をも超えたもの。

   されば、我ら、何処に家を構えるか考えん。

   また、いかにしてそこに向かうか考えん。

   そして努力せん、

120 神の愛に包まれたる生活のある                

   永遠なる祝福のうちに、

   天の喜びのうちに向かわんと。されば、我らに栄誉を与えし

   天にまします父、永遠なる主、

   聖なる神に対し、常に感謝の言葉あれ。

   アーメン

 



 

[1] 「冷たき足枷」というのは、「霜」を表すケニング。原文では「霜」という言葉は用いられておらず、「冷たき足枷」とされているが、訳文中では意味が分かり易くなるように「霜」という言葉を補った。

 

[2] 世俗的な詩においては、館における盛大な酒宴が人々の幸せや社会の繁栄を象徴するものとしてよく言及される。ここでは、「人々の笑い声」や「蜜酒」という言葉で象徴的に表される豊かで活気ある酒宴の様子と、詩人自身の孤独で惨めな境遇とが対比されているのである。27行目以降にも同様の対比が見られる。

 

[3]この上なく冷たき粒」とは「雹」を表すケニング。

 

[4] カッコウは夏を告げる鳥として知られていた。ここでは夏の鳥、そして嘆きの鳥としてのカッコウが言及されている。嘆きの鳥としてのカッコウはウェールズ語の哀歌によく登場する。古英詩 The Husband’s Message にも嘆きの鳥としてカッコウが言及される。

 

[5]鯨が故郷」とは「海」のことを表すケニング

 

[6] 古英詩においては、海のことが、古英詩の技法の一つであるケニングを用いて「鯨道」や「鯨の道」と表現されることがある。

 

[7]天主様のもとでの喜び」とは天国での喜びのことを表す。古英詩(特にキリスト教詩)においては、ここでのように、しばしば儚く無為なこの世での生活と、天国での永遠の喜びとが対比的に捉えられる

 

[8] 神の畏るべきお裁きと訳した部分には、文字通りに訳せば神の恐怖(=神の恐るべき力?)という意味の句が用いられているが、この文脈では魂の救済のことなどが言及されていることから、最後の審判のことが念頭に置かれているものと考えられる

 

[9] これとほとんど同じ詩行がエクセター・ブックの『格言詩1』(Maxims I)の中にも見られることから、ここでは格言として知られた言葉が用いられたのであろう。

 

[10] 「・・・」の部分は、写本の詩行に不備があり、一語かそれ以上が抜けているため、解釈が困難である。ここではK. Melone, 'On Seafarer 111-116', Medium Ævum 6 (1937), pp. 214-15 の解釈を参考にしつつ訳出した。